ネタ枯渇により、しょうがなくアップしたやっつけブログが意外と閲覧数が伸びたりして不思議に思うふあららいです。
はじめに謝っておきます。
遥か昔の語学留学について綴っていく事をお許しください。
自己満足に尽きるのは確かですが、「むかしむかしある所に三十路を迎えた女がいました・・・」的な昔話のひとつとしてお読みいただき、暇つぶしにしていただけたら嬉しいです。
20年前の話ゆえ記憶も忘却の彼方にあり、タイトルに「おぼろげ」とある通り、なんとも心許ない回顧録となります。 ただ、当時実家の両親に送っていたEメールがプリントアウトされて残っているので、その中の記述を基に綴っていきたいと思います。
「What's the purpose of your visit?」
「to study English.」
入国審査官はパスポートのF1ビザとI-20と呼ばれる入学許可証をゆっくり見ると、それぞれにスタンプをガチャンガチャンを押しました。
今で言うハリー王子似のあご髭をたくわえた審査官には滞在期間についてもの質問をされたような気もします。 優しい感じの審査官に当たり、無事入国を済ませてホッとするのも束の間、次は国内線への乗り換えが待っています。
今を遡る事20年、世間がミレニアムと騒いでいた2000年1月23日、オレゴン州ポートランド。
最終目的地はカリフォルニア州のサンフランシスコですが、留学エージェントが用意したチケットは直行便ではなく、乗り継ぎ便のものでした。
実はこの時、乗り継ぎに関して問題が発生していたのです。 ポートランドに到着後、コンコースを歩いて入国審査場に入った時に日本語が耳に飛び込んできました。 航空会社の日本人スタッフが、審査場内を歩き回りながら乗客を呼び出しています。
「××でサンフランシスコに向かわれるお客様はいらっしゃいますかー?」
××はこの後私が乗る予定だったので、すぐに申し出るとその便は欠航となり振替のアラスカ航空に乗る事になったとの由。 その後は日本人スタッフのサポートで荷物を預け直し、搭乗券を受け取りスムーズにゲートまでたどり着きました。 もし日本人スタッフがいなかったらどうなっていた事かと、今思い返しても冷や汗が出ます。
ここからサンフランシスコに着くまでの記憶がないのですが、当初の予定より予定より大幅に遅れて到着したので、ポートランドでかなりの時間を過ごしていたと思われます。
しかし、何を食べたか、何をしていたのか全く思い出せません。 あのイヌイットおじさんマークでお馴染みのアラスカ航空に乗ったはずなのに何も覚えていません。 とにかく不安でいっぱいで余裕がなかったのでしょう。
当時はまだデジカメを持っていなくて、フィルム節約の為か写真をあまり撮っていませんでした。 行きに撮ったのは、立ち寄った成田山新勝寺での父とのツーショット1枚だけ!
※画像はゆる~く加工してあります