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語学留学おぼろげ回顧録 49《帰国後のお話》

今夜はクリスマスイブのディナーで暴飲暴食確定日のふあららいです。

 

 

ハワイネタ枯渇の為に始めたおぼろげ回顧録は今回で終了です。

49回というなんとも中途半端な数字で終わっていいのか?とも思いますが・・・サンフランシスコのNFLチームにフォーティーナイナーズ49ers)というのがありますし、それにあやかってという事でいいんじゃないですかね~。

 

2000年7月9日(日)

とうとうサンフランシスコの家を去る日となってしまいました。 これまで実家へのメールで送った内容を元に回顧録を綴ってきましたが、帰国日はメールを送っていないので今回は記憶だけが頼りとなります。

朝、身支度を整えて、2匹の猫に心を込めて語りかけ、昨夜書いたThank-You Noteを机の上にそっと置きました。

迎えを待つ間、廊下でハリエットと他愛のない会話をしていると呼び鈴が鳴り、いよいよ別れの時が。 ハリエットが両手を広げてきたので、自然にハグを交わしました。 考えてみれば6ヶ月一緒に暮らしてきましたが、おそらく初めてのボディコンタクトだったのでした。 テイクケアだのサンキューだのキープインタッチだの言い合ってから家を出ました。 前の晩に別れの場面では泣くかなと思っていましたが、意外と涙は出ませんでした。 年取った今なら号泣ものですけど。

お迎えの人は来た時と同じおじさんでした。 段ボール箱とスーツケースと一緒にバンに乗せられ空港へと向かいました。 空港へ向かうフリーウェイを滞在中に幾度となく通った事を思い出しながら窓の外を見ていました。 見慣れた景色、あの看板・・・次はいつ見ることができるのだろう・・・

 

空港ではおじさんがチェックインをしてくれて、問題の段ボール箱は超過料金を課せられることもなくスーツケースと共にベルトコンベアーに載って消えて行きました。 そこからの記憶はまったくなく、次に思い出せるのは乗り継ぎのポートランドで成田行きの便を待っているシーンです。  

ここまで読んで皆さん「あれ?一緒に帰る子がいるって、前回書いてなかった?」とお思いでしょうが、たぶん一緒に行動していたんですけど全然思い出せないのです。 唯一覚えているのが、成田行きの便に搭乗した時のことです。

チケットの席は二人並んでの非常口席でした。 非常口席は緊急時にその航空会社の母国語もしくは英語で意思疎通できることが求められます。 CAさんが英語が理解できるかその子に尋ねていたのですが、たしか彼女は学校でも初級レベルだったこともあり答えられず、すぐさま座席を移動させられていました。 代わりにやって来たのは、ビジネスマンらしき日本人男性。 その後CAさんは私にも「Do you understand English?」と訊いてきました。 「Yes, a little」と答えてみたら、窓側の非常口席を手放さずに済みました。 まあ、何かあったらお隣のビジネスマンに頼ろうと依存心に満ち溢れていたのはここだけの話です。

 

ありがたいことにデルタ機は非常事態に陥ることなく無事に成田空港に到着して、眼鏡をケースごと忘れてきてしまうという痛恨のミスを犯していることに気付かず降機。 帰宅後問い合わせましたが、見つかりませんでした。 あのままアメリカにとんぼ返りしちゃったんだな~、留学前に新調した眼鏡だったのに・・・

 

段ボール箱は税関に引っ掛かることなく通過し、到着ロビーでは両親と兄が出迎えてくれました。 こうして24週に亘る語学留学は終わったのでした。 エージェントに申し込みの電話をかけた時のことは今でもハッキリと覚えています。 「この私が留学なんて大それたことができるんだろうか・・・」と40分くらい電話の前で躊躇していました。 あの時怖気づく自分に負けなくて本当によかったです。

 

語学学校の終了証(画像は加工しています)、今までまじまじと見ることもなくしまいこんでいました。

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『熟練したレベルとしての集中英語プログラムを無事に修了したことを証明します』 熟練て・・・ちっとも熟練じゃないし、これ経歴詐称になるんじゃないか・・・

 

ただ何となくアメリカで英語を学びつつ暮らしてみたいな~などという浅い考えで行ったとは言え、これで英語力が伸びていなかったら悲しすぎます。 成果を知るために、その年早速TOEICを受けました。 留学前にTOEICは2回受けていて、自分でそれなりに勉強をして1回目から2回目のスコアは50ポイントアップしていました。 なので、留学後となる3回目は2回目より100ポイント以上はアップしていないとまずいよね~と思っていました。 果たして結果は120ポイントアップで面目躍如となったのでした。

しかしペラペ~ラとやり取りするには程遠いレベルであることを付け加えておきます。 なんとも情けないですが、聞き取りなんてわかる単語を繋ぎつつ推測する力が伸びたようなものです。

 

帰国の翌年、私は親元を離れて松本に移住をしました。 これはハリエットに大いに影響を受けての事です。 自分の好きな土地で、好きなものに囲まれて暮らすスタイルを踏襲した訳です。 ひとり暮らしで猫を飼い始めていたので、そこから新婚旅行までぱったりと海外旅行に行けなくなってしまいましたが、山へ温泉へと信州の暮らしを満喫しました。

いまでこそ英語と関わらないパート仕事をしていますが、松本に移り住んでから2回英語を使う仕事に就けたのは留学したおかげだと思います。 ひとつは輸出入関連のお仕事で、もう一つはホテルのフロントです。 ホテルのフロントはインバウンド客が増えてきた時期と重なり、ぶっちゃけ40過ぎのおばちゃんでも英語が多少話せるから雇ってもらったようなものでした。

いずれにしても、留学前と留学後で私の生活はガラリと変わりました。 留学をした事で高収入になったりとか、なんらかのステータスを得たりとかそういうものはありませんが、それなりに自分らしく生きていけることに満足しています。

 

結婚後はダーリンとハワイにうつつを抜かし(ハワイはいつでも魅力的)、なかなかサンフランシスコに足が向きませんでした。 そして気が付けば留学から20年も経ってしまいました。

留学後20年目となる今年、やっと再訪できるはずだったのに新型コロナのせいで行けなかったのが残念でなりません。 コロナの終息もまだまだ見えない中いつ行けるかわからないですが、絶対に絶対に第二の故郷サンフランシスコに行くのだとここに決意表明をして終わりにしたいと思います。

 

これまでこんな駄回顧録をお読みくださった皆様に感謝いたします。