地震の心配と台風の襲来で落ち着かないふあららいです。
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明らかな誤字以外はそのまま転記しています。読みにくかったらすみません。
1992年2月17日(月)
よく寝た。パリの夜明けは遅い。7時半になっても外はまだ暗いのだ。
朝食をとって市内観光へ。半日のコースなのだが、ルーブル美術館を無理矢理組み入れたそうで、とにかくあわただしかった。
最初にエッフェル塔へ行った。大急ぎで記念撮影をしてすぐ出発。そしてコンコルド広場へ。ここでも写真をとるのが精いっぱいの時間でかけずりまわっていた。ノートルダム寺院のシャンデリアは素晴らしかった。ルーブル美術館へとまわり、ミロのビーナスと勝利の女神とモナリザを見て、オペラ座近くの食堂でお昼を食べた。エスカルゴが出た。オリーブオイルとガーリックとバジリコのソースがからめてあった。けっこういけた。
お昼を終えると免税店へつれていかれた。とっても高そうな店でカルチェのパスケースが4万5000くらいした。もちろん買わなかった。それからフリータイムとなって、オペラ座へ行った。ちょうどその時は舞台けいこをしているようで残念ながらホールは見られなかった。
2日間の自由行動では地下鉄が足がわりになるので、回数券(カルネ)を買うことを決めていた。窓口で「アン カルネ シィル ブ プレ」と言ってみたらみごとに通じた。うれしかった。私のフランス語もまんざらではないなと思った。地下鉄に乗ってコンシェルジュリ(※フランス革命時マリーアントワネットが投獄されていた牢獄)へと向かったが、もう入場は終わっていた。
カフェでお茶を飲んで、エビアンを買って帰った。地下鉄の中でY夫妻とあって一緒にホテルへ帰った。
いったんホテルへ帰ってから、(ツアー一行で)夕食にモンマルトルへと向かった。15分くらいで着いた。メインディッシュは仔牛のステーキだったがうまくなかった。
11:30就寝。
ところでパリで一番気に入ったものは薬局のネオンサインだ。パリには何故か薬局が至る所にあるのだが、夜のそのネオンサインは実に多種多様で面白かった。それはどこも基本的には緑十字のものなのだが、薬局がここまでくだけていいのだろうかと思わせるほど派手でいくら見てもあきなかった。
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