12月ってもっと冬らしかったような気がするふあららいです。今の12月って昔の11月っぽいと思います。
高野山へは国道480号線のクネクネ道をひたすら上って行きました。
途中、標高634mの看板が。スカイツリーと同じ高さですね。まだまだ上ります。ちなみに金剛峯寺の標高は約820mです。
12時過ぎに高野山の中心部に着きました。丹生都比売神社から40分かかりました。意外と人が少なかったです。
ちょうどお昼時だったので、せっかくならば精進料理を・・・と、入ったお店は高級店だったようで、メニューを見てビビリました。お昼にこの金額は払えません。
結局3千円でお釣りがくるお弁当をいただきました。魚や海老や鶏肉やらが入った全く精進でないお料理でしたが、やさしい味付けでとても美味しかったです。産地が近いだけに柿の美味しさに感動しました。
お腹が満たされ、いよいよ金剛峯寺に参拝です。修行のお寺の門前町という事で浮ついた感のない、落ち着いた雰囲気の街並みでした。
金剛峯寺に入ります。こちらは本坊。
1863年に再建された主殿は屋根の上の天水桶が特徴的でした。中は見学しなかったのですが、大広間で法要などを行っているそうです。別殿には真言密教の瞑想法である阿字観を体験できる阿字観道場があります。前に外国人が体験をやっているのをテレビで見たような気がします。
本坊から5分ほど歩いて壇上伽藍にやって来ました。壇上伽藍は空海が高野山を開いた際に最初に整備に着手した所です。
高野山のシンボルともいうべき根本大塔です。しかし最初の塔が完成したのは空海入定後で、残念ながらご本人は完成を見届けることは叶いませんでした。中は撮影禁止なのが残念ですが、立体曼荼羅を再現したこの塔の中は宇宙の中心となる大日如来像を4つの如来が囲み、更に16本の丸い柱に十六大菩薩が描かれていて仏様ワールドとなっていました。始めはその独特の空間に圧倒されましたが、次第に心地良さを感じるように。一晩この中でひとりで過ごしたらどんな感じがするのかな?怖いかな?それとも安心感に包まれるかな?なんて事を考えたりしました。
大塔の前にあった八角灯篭です。扉に四つの獅子、そして楽器を奏でる仏様。東大寺にあったのと同じ様式でした。この時代の標準だったのでしょうか?
境内には信徒の団体さんがガイドの説明を受けながら回っていました。この六角経蔵は回転するようになっていて、一回転すれば一切経を読んだ功徳を得られるそうです。
こちらは金堂。現在の建物は昭和7年(1932年)に完成しました。火災の延焼から守る目的で鉄筋コンクリート製で建てられましたが、一見すると普通の木造建築としか思えません。こちらも内部撮影は禁止でした。一生懸命仏さまを拝みましたが、悲しいことにどのようなだったかもう思い出せません (´;ω;`)ウゥゥ
金堂の裏手に回ると、立派な松の木があります。奥の方の松が「三鈷の松」と呼ばれています。留学先の唐から帰国する際、密教の道場をどこに作ればいいのか念じ投げた三鈷杵という法具が、後にこの松に引っかかっているのを見つけた空海はここが相応しい所であると確信したのだとか。YouTubeで見た映画でもこのシーンがありました。中国で投げたものが届くわけがないことはわかっていますが、素直に感動した私です。
普通松葉は2本か5本で構成されているのですが、この松は3本と変わっているんですって。本当かな~と見ていたら、本当にそうでした。
どこを撮っても画(え)になりますね。
こちらは御社(みやしろ)です。先に参拝した丹生都比売神社の神様を明神として祀っています。お世話になったとは言え、義理堅いですね。
戻って来ると、団体さんが三鈷の松の下で3本の松葉を探しているようです。
この日はおひさまが隠れて冷たい風がピューピュー吹いていて、すごく寒かったです。そう言えば2月に空海の生誕地である善通寺を詣でた時も夕暮れ時に風が吹いて寒かったのを思い出しました。お大師様と私は冷たい風で結ばれているのでしょうか?
とにもかくにも呼ばれて来た高野山、来てよかったです。
最後におみくじを引きました。「弘法大師様~呼ばれて予定変更して来たんですから、いいのが出ますようお願いしますよ~」と念じながら引いたら見事大吉! さすが、わかってらっしゃる(笑)
本当に来てよかったです。ありがとうございました。
最初は、墓所のある奥の院にも行こうと思っていたのですが、十分満足したのでこれで帰ることにしました。帰りも一人で運転するので、欲張って疲れを溜めてもいけないなと思い、あっさりと諦めました。お大師様に帰路の無事をお祈りして高野山を後にしたのでした。
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