旅ごころのよりどころ

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捉え方は人それぞれ

件の連続爆破事件当時、小学校にも上がっていなかったふあららいです。

 

 

ここ数日にわかにマスコミを騒がせた連続企業爆破事件の容疑者が見つかったという一件。重篤な状態に陥っていた容疑者がDNA鑑定の結果を待たずに死亡してしまいました。

「最後は本名で迎えたい」

と話していたそうですが、これを聞いて私は逃亡していた約50年どのような想いで生きていたのか、それは多少なりとも悔いを伴ったものだったのではないかと思いました。偽名での生活は健康保険、運転免許を持てず、身元保証としてそれらを必要とする銀行口座を開けず、部屋を借りることもできず、神奈川県の工務店で住み込みで働いていたということです。なかなか難儀なことだと思いますが、それでも慣れてしまえばどうってことないものなのですかね?

 

今日の信濃毎日新聞の朝刊には、映画監督の森達也氏の寄稿が掲載されていました。

信濃毎日新聞2024年1月30日朝刊紙面より抜粋)

それには『おそらく悩みながら後悔しながらの半生だったのではないか』と私が持った感想とおおむね同じことが書かれいました。しかし森氏は更に思考を深めます。『単にテロリストだと切り捨てるのではなく(中略)事件が起きた当時の歴史や彼らがなぜ凶行に走ってしまったのかという背景についても目を向けるべきだ』と結んでいます。ここで私は容疑者が所属していた「東アジア反日武装戦線」の大義が『日本企業が米国と一緒になってベトナム戦争に加担しているというもの』であったことを知りました。本来なら容疑者が起訴されて裁判でこれらの経緯がなぞられ犯行への動機が明らかにされていくものですが、容疑者が死亡したことで「ひとりのテロリストが死んだ」と表面的な扱いだけでやがて忘れ去られていくのでしょう。

 

ところで、この件で「逃げおおせた」「勝利宣言」「ずるい」と言う人もいて一つの事案についての考えは人それぞれなのだな~と面白く感じました。実は「最後は本名で迎えたい」と言ったことに対して少なからぬ切なさを感じた私も結局出頭しなかったという事実に心がモヤっています。

 

・・・・と、ここまでブログを書いていたら11時半のニュースで容疑者が捜査員に「事件を起こしたことを後悔している」と話していたと伝えていました。やっぱり後悔していたんですね。でも自ら出頭はしなかったんですよ。てことは犠牲者や被害者に対する悔恨の気持ちというより、自分の人生がこんな風になってしまったことにおいて後悔していたという事ですかね。こればかりはもう本人聞くことは叶いません。