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みちのく3県ドライブ旅《かつての松原で祈りを捧げる》

南海トラフはいつ来るのでしょうか? 過去の教訓を生かして被害が大きくならないことを願うふあららいです。

 

 

気仙沼を後にして国道45号線を北上します。

三陸特有の起伏に富み、次から次へと入り江が現れる道を走っていると、「ここから過去の津波浸水区間」という標識が現れます。そして対となる「ここまで過去の津波浸水区間」の標識もありました。小高い丘を通る道でもこの標識を見かけると、実際に津波がここまで来たのだなと実感できるようなできないような・・・すみません。いくら思いを馳せてもこればかりは体験した者でないとわかりませんが、避難の目安にはなりますね。

 

再び岩手県に入り陸前高田の「道の駅高田松原」に到着しました。

車を降りてまず見に向かったのは「奇跡の一本松」です。

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海に向かって右隅にポツンと立っていました。その向こうには一部が潰れた建物が遺構として残されているようです。さらに向こうには真新しい堤防につながる水門が。

あの凄まじい怒涛を耐えた松・・・その後枯死してしまいましたが、よく頑張ったね・・・と声を掛けたい気持ちです。もう死んでしまったけれど、その場に立っているのを見ると歴史の生き証人のように感じました。

 

道の駅の建物から350mほど離れた堤防に向かって歩きます。

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堤防の上には献花台があり、鎮魂と祈りの場となっていました。

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そして堤防の向こうには静かな海が。向こうから大津波が押し寄せて来たなんて・・・

 

堤防と海の間では、たくさんの松の木が育てられていました。f:id:Hualalai:20211025141820j:plain

また美しい松原として復活してほしいですね。

 

しかし市街地の復興事業はまだまだの様子でした。

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まずは住む所が優先ですから高台の住宅地は整備されているとは言え、もう10年も経ったのにこんなに更地が多いとは思いませんでした。いずれ次に来る被害を考えると低地に何を造るかは難しい問題なのでしょうけど。

 

ところで復興五輪とか ほざいて おっしゃっていた人って誰でしたっけ? 正確には「まだまだ復興道半ばだけどそんなの関係なくてやっちゃう五輪」ですよね。被災地にはなにか恩恵がもたらされたのでしょうか?

 

 

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