就寝中寝返りを打とうとしたら、すでにベッドの端にいて危うく落ちかけたふあららいです。
華麗ヨーロッパの旅 DAY3はこちら
明らかな誤字以外はそのまま転記しています。読みにくかったらすみません。
1992年2月19日(水)
ホテルからバスでシャルル・ド・ゴール空港へと向かった。これからエールフランスでロンドンまで飛ぶ訳だが、私たちを乗せる飛行機はとても小さいものだった。機体部分に書かれている機種名を探すと「Fokker」と書いてあった。私は飛行機の種類については詳しくないが、フォッカーなどという飛行機に乗るのは初めてだった。確か日本の国内路線にはフォッカーはとんでいない筈だ。フォッカーはとても可愛らしい飛行機だ。同じツアーの女の子グループが記念撮影しているのをスチュワーデス達がもの珍しそうに見ていた。
機内も大変せまくって、シートは通路を挟んで両側に2列ずつだ。こんな小さな飛行機では少しぐらいの風でもあおられてとてもゆれるのではないかと不安になったが、離陸してみるとじつに快適な乗り心地だった。飛行機は大きい程いいとは限らないもんだなと思った。窓からドーバー海峡を眺めているうちに、あっという間にロンドンについてしまった。東京から直行便でロンドンに来た時はヒースロー空港に降りたが、今回はガートウィック空港に着陸した。やっと英語が通じる国へ来たぞとホッと安堵のため息が出た。フランス語は皆目わからなかったが、英語だと見ればだいたいの意味がわかる。中学高校短大とこんな自分でも8年近く英語を学んだ人間なんだなあと実感した。
さて、フランスでは入国審査はパスポートの提示のみでフリーで入国できたが、イギリスではそうは簡単に入れてもらえないらしい。マンツーマンで入国審査をうけ、幾つかの質問に答えなくてはいけない。しかし、ガイドブックにその質問についての説明が載っていたので、私はその答え方を丸暗記して気楽に審査にのぞんだ。係官は女性だった。まず「入国の目的は」らしいことを尋ねてきたので「Sightseeing」と答えた。次に滞在期間をきいているみたいだったので「Two days」と答えた。それから彼女は「Are you a student?」と言ってきた。「え、違うよ」と思ったが、「No, I'm not.」と言えば話が長くなりそうなので「Yes」と言ってやった。そうしたら彼女は「あなたたちは学生の団体旅行か?」ときいてきたので、もうめんどうくさくて「Yes. Yes.」とうなずいた。私はうまく審査をパスすることができた。
ガートウィック空港はロンドン郊外にあって、市街までけっこう時間がかかった。どこまでも広大な草原の丘がつづき、羊たちが群れをなしていて、北海道に行ったことがない私は「きっと北海道ってこんな感じなんだろうな~」と思ったりした。
これからロンドン市内観光である。しかし眠い。ヨーロッパへきて3日目を迎えて、時差ボケが最高潮になっていた。ロンドン市内に入ってからまず最初に訪れたのがバッキンガム宮殿であった。しかし宮殿内には入れず門の外から見るだけだった。ここでかの有名な衛兵交代が見られるのであるが、現在は1日おきにしか行っておらず、運が悪いことにこの日はお休みの日だった。バッキンガム宮殿は特別ごうかな造りでもなく、小ざっぱりとした感を受けた。
次にビッグベンをバックにテムズ川のほとりで記念撮影をした。ロンドンの空は重苦しい鉛色だった。冬はよく霧がでるそうで、この日は珍しく霧が晴れたとのこと。ガイドさんが言うことには、霧になると一寸先も見えなくなって交通事故が多発する、街灯にしても霧の中でもよく照らせるようにすべてオレンジ色に統一されているということだった。なるほど、それで飛行機の中から見た夜景はすべてオレンジ色だったんだなと思った。
ビッグベンを後にしてバスはタワーブリッジへと向かった。バスの中から街を眺めていると、建物のほとんどに "TO LET" という看板がでている。なんだろうと思っていると、ガイドさんが空き部屋ありの表示だとおしえてくれた。
タワーブリッジには人がたくさんいた。みやげもの屋をのぞくと缶紅茶が売られていた。会社のみやげは缶紅茶にしようと決心した。再びバスにのりピカデリーサーカスを通ってソーホーへ行った。今日は中華料理がお昼ごはんである。久し振りのごはんものであるチャーハンが嬉しかった。昼食がすむとピカデリーサーカス近くの免税店で解散となった。このお店も日本資本の経営らしく日本人がけっこういた。私はここでおおかたのみやげ物を買った。
DAY4は長いので2回に分けます。
華麗ヨーロッパの旅 DAY4(前編)はこちら